教育理念

子どもたちへの想い

 創業以来、Oasisでは子どもたちの「志」や「想い」に寄り添った指導を続けています。

 そのため、進路についても子どもの想いを優先し、現状の成績から志望校を否定したり変更を求めたりすることはありません。模試で志望校がE判定であり、学校の先生からは「○○高校(大学)は無理だ」と言われたしても、私たちは決してあきらめません。子どもたちの可能性を信じ、味方であり続けることがOasisの存在意義だと考えています。
おこがましくも、「どうすれば合格させてあげられるか」と、子どもたちと同じか、もしくはそれ以上の熱量をもって指導にあたります。ときには志望校とのギャップから多くの課題をかしたり、優しい声かけではなく力強く鼓舞することもあるかもしれません。

 しかし、それらはすべて子どもたちの「志」や「想い」に寄り添った指導以外の何物でもありません。「ただ表面的に優しい指導を行う塾講師」「むやみやたらに背中を押す塾講師」とは全く異なります。その子の人生のために、大切なことはすべて伝えていきます。

 私たち講師は、どのような時でも生徒一人ひとりを尊重する指導を心がけていきます。


創業者小澤氏の想い

 

■人は本来、評価されて伸びる動物

 ある冬の真っ暗になった夜、コンビニエンスストアーで肉まんを買い食いしている泥んこのユニフォームを着た 野球少年を思い浮かべてください。皆さんはその少年を見て何を思いますか? 「夜遅くまで大変だな…。でも一生懸命練習して将来は甲子園(プロ野球選手・メジャーリーガー)をめざせよ!」 と応援する(プラスの感情をもつ)方が多いのではないでしょうか。

 ところがです。同様にある冬の真っ暗になった夜、コンビニエンスストアーで肉まんを買い食いしている塾帰りの少年を見たら皆さんはどう思いますか?「自分の時代はこんなことはなかった…。」  「今の日本はどうなっているんだ?」などのマイナスの感情をもつ方が多いのではないかと推測します。 野球少年への感情と同じように「将来は開成(東大)をめざし、光り輝く未来を手に入れろよ!」と応援する方は少ないのではないでしょうか?

 どうしてなのでしょうか? それは「勉強=辛い」という誤解をしている方が多いからだと思います。 勉強は元来、楽しいものです。知識を吸収するのも、成績が伸びていくのも、他人から評価されるのも、すべて楽しいはずです。野球なら全打席三振だった子がヒットを打てるようになれば誉められる。でも勉強は0点の連続だった子が20点になってもまず誉められない。(親というのは不思議なものです。我が子が赤ちゃんだった頃は 「パパ」「ママ」の一言で飛び上がって喜び、ヨチヨチ歩きで大称賛をしたのに、大きくなると多少の成長では評価しなくなるのですから…。)

 趣味やお稽古は辛くなれば止めることができます。上達しなければ他のものに切り替えれば済みます。 でも受験は避けることができません。中学・高校・大学の違いはあれど、必ずやってくるのが受験です。 できないから苦しいのです。評価されないから伸びないのです。誉められないから辛いのです。

 親心は複雑です。我が子を一番愛しているのは自分なのですから、もちろん誉めてあげたい。しかし、日常の生活態度や成績を見ていると、誉める材料は少なく、ついつい小言が多くなってしまう…。当然です。

 しかし待ってください。物事ができるようになるには、時間と試行錯誤が必要で、失敗の向こう側に成功があるのではないでしょうか。私たち自身も過去にそういう壁を乗り越えてきたのではないでしょうか。 だから待ってあげる必要があるわけですが、塾や学校の進度は速く、ついつい親も焦ってしまう…。ここに問題点が潜んでいるのです。

そう、目の前の成績ではなく、子ども達の態度・取り組み方に問題があるのです。そこを放置していては成績UPは至難の業です。どうせやるなら「本気で」思い切り努力し、辛いのを乗り越え、“楽しい”受験をしましょう。学校に選ばれるのではなく、「こちらが選んでやる」くらい成績を上げましょう!  

私は考えます。「あの時ああしていれば…」そんな思いが親子に残ってしまうことが後悔する受験だと。そんな後悔は絶対にさせたくありません、させません。個々の夢を必ず かなえたい…。子ども達は鉄砲の弾ではありません。何発か撃てば当たるだろうというものでは決してないのです。

「いまその子にしてやれることは必ず実行する」これが私の考え方です。逃げずに頑張る子どもに必ずさせます!

■受験はゴールではない!

 前章でも述べましたが、受験に対して多くの大人が持つマイナスイメージはどこからくるのでしょうか?それは、「お受験」「受験戦争」「コネ」「裏金」などの言葉が、過去にマスコミ等で取り上げられてきたことと無縁で はないのでしょう。これらは「なんとか我が子を合格させてあげたい」という一念から、主に親が一生懸命行動する様子をマスコミが取り上げたことからイメージが残っているのだと思います。

 親が一生懸命になるのは当然です。しかし、第一志望合格が人生の全てなわけはなく、単なる通過点です。仮に 第二志望以下の学校に進学しても、子ども達には堂々と胸を張って人生を歩んでいってほしい。中学受験に失敗して大学受験でリベンジ成功!という話や、無名の大学から超一流ビジネスマンといったことは稀な話ではなく、私の周りにはそういう人が大勢います。(もちろん、一流から一流という子も大勢いますが)

 そう考えると、どこの学校にということではなく、「どう成長したか」が大切であることがわかります。第一志望に合格したがその後は失速…という子ではなく、「受験を通して伸びるノウハウを身につけた」という子を育てていくこが大切なのです。

 私の大好きな言葉を記します。「金品は何者かに奪われればお終いだが、頑張った・努力したという経験は何者も奪うことができない財産である。」

熱血塾講師「おざポン。」 小澤淳のブログはこちらから。↓

https://ameblo.jp/ozawa-atsushi